
帰国して、バタバタと忙しくして連絡もせず、年賀状を使って昔の恩師に葉書を出しました。
娘さんから「父は3年前に亡くなった」旨の返信をいただきました。
恩師とは、私が札幌でボクシングをはじめた時に通ったボクシング・ジムの会長です。
ガッツ石松似の顔で、大相撲力士からボクサーに転向したという異色の選手で、日本ボクシング界では最重量級のミドル級で2度の日本チャンピオンになっています。
作家沢木耕太郎の、黒人のアメリカ兵と日本人女性との子として生まれたハーフのボクサー「カシアス内藤」の世界チャンピオンへの挑戦を描いたノンフィクション小説『一瞬の夏』の中で、晩年の会長がカシアス内藤とやる一戦が載っています。
ロートルの会長が新進気鋭のカシアス内藤と争う日本王座決定戦です。
20年以上前に読んだので、うら覚えですが、下馬評どおり会長は負けてしまいます。
しかし、最後の最後までカシアス内藤を睨みつける眼力は消えなかったようです。
そのシーンを読んで当時思いだしたのは、私と会長とのスパーリングです。
私の練習にふがいなさを感じた会長は、いきなり「グローブをつけろ!スパーリングをやってやる。」とリングにあがりました。
引退後は運動もせず、酒を飲んで腹も出ています。
しかしながら、元ミドル級の日本チャンピオンが、5階級下のフェザー級の四回戦ボーイに負けるわけがないと思ったのでしょう。
会長は、ヘッドギアも付けずにリングにあがりました。
しかし、案の定、現役の選手に体力で勝てるわけがなく、自分のパンチは会長の顔面を捉え、口から血が流れているのが見えました。
ボディにもいいパンチが何発か入いりました。
ふつう、素人は1ラウンドの3分間も体力的に立っていられません。
そして、ボディにいいのが入れば、うずくまってしまうものです。
体力的には素人と同じはずの会長でしたが、最後の最後まで、口を開けず歯を食いしばり、怖いぐらいの眼光で睨みつけ、僕に向かって来たことを思い出した。
後でトレーナーから聞きましたが、このスパーリングで歯が折れていたようです。
ジムでは木刀を持って指導をし、何度と怒鳴られ殴られたことか分かりません。
しかし、同時に可愛がってもくれました。
練習が終わった後にススキノのジンギスカン「だるま」や澄川のラーメン屋「純連」などによく連れて行ってくれました。
日曜にジムで七輪を焚いて“チャンチャン焼き”をやったこともありました。
私はジムの月会費が払えなくて、よく滞納していました。
3ヶ月滞納していたある日、「オイッ、月謝払え!」と怒鳴られましたが、自分が貧乏学生であることを承知してか、一瞬間をおいて、「金ないのか?」と言うと、ニヤリと笑って私の会費表に「支払済み」のマークを3つ押してくれたこともありました。
小さなジムだったので、会員が多くなると練習場所がなくなります。
そうなると会長はスパーリング大会をよく実施しました。
毎日毎日スパーリングをやらされると、練習が辛くなってやめて行く練習生が多いからです。
つまり、人減らしです(^^;)
あまり経営のことは考えていない会長でした。
前に前に進んで殴り合う現役時代のファイタースタイルの会長にはファンも多く、引退後も当時のファンが会長のジムの選手の試合に後楽園ホールに観に来てくれていました。
会長の後楽園ホールでのパフォーマンスは、ちょっと有名でもありました。
うちのジムのセコンドは声が大きくうるさく、
リングの下から大声で選手を怒鳴るのはどこのジムでもあることですが、
セコンド同士でケンカをするというのもうちのジムの名物でした。
会長が「手を出せ!ジャブをくぐって前に行けっ!」と怒鳴ると、
トレーナーが逆に「距離をとれっ!」と指導をします。
すると会長がトレーナーに向かって「俺が、前に行けって言ってるだろう!」と言ってケンカが始まり、リングの試合よりもセコンド同士のケンカに観客が歓声があげるという始末です(^^;)
ふつう、選手がコーナーに戻ってくるとセコンドは汗を拭いて、うがいをさせて大事に丁寧に扱いますが、うちのシムでは違っていました。というか違うこともあって、選手のボクシングにふがいなさを感じた会長は、コーナーに戻ってきた選手にビンタを喰らわせることもありました。
その時、会長の爪が選手の頬に引っかかって流血したこともありました(^^;)
休憩が終わってコーナーから出てきたリングの上の選手が流血しているという謎な展開もうちのジムではありました。
現役時代の会長の後輩で、世界チャンピオンのまま首都高速を愛車シボレーで運転していて事故死した大場政夫が会長を慕ってよく北海道まで遊びにきていたようです。
「アイツは、休養でこっちに来ていても雪の中でも毎日走っていた。」と、僕らが朝のロードワークをさぼっているのを見透かして説教されました。
短気で怒りっぽく、ヘビースモーカーで、酒を飲み、脂っこく、しょっぱいものが大好きな会長の人生は短いだろうなと誰もが冗談めいて話していましたが、私が東京に出て来てから間もなく脳出血で倒れ、それ以来10年以上の入院生活が続いていて、3年前に亡くなったとのこと。享年66歳でした。
まさに、太く短く人生を生きた会長。そして多くの人の記憶の中に存在を植え付けました。
ご冥福をお祈りします。合掌。