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[C1231] 神様はどんなこともおおらかに受け容れてくださる・・

教会の中では信者さん達は善良なところを顕しているんでしょうね。
でもその同じ人が、憎しみや妬みや狡さや残酷さやらなんやらも持っているので、
世の中簡単に平和にならないんでしょうね~。

キリスト教の教えには深く感心するところもあるし、
私自身は人知のスケールを超えた摂理(私にとっての神)は存在すると思っているのですけど、
信者という人間集団を見ると、「私はここには入れない。」と思います。
(信者のみなさん、貶すつもりじゃないので許してください。)

さて、ラテン語由来のesultareは歓喜するという意味ですが、
これは宗教的にも性的にも区別なく使われます。
つまり、宗教的法悦と性的法悦は同じ種類ということなんでしょうね。

宗教の本質を突いていると思いつつ、「だから危ないんだよなあ・・・。」と思うところのひとつです。
新興宗教はもちろんのこと、古い宗教の中にも随所にこの法悦は見られますから。
  • 2007-12-26
  • CUCINAPOVERA
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[C1232] Re:CUCINAPOVERAさん

人は誰でも善良な一面を持っています。
恋人や家族には簡単にそれを出すことができても、見ず知らずの他人にはなかなか出せません。
個人の懐の深さにもよりますが、宗教には強制的にそうさせる力があると思っています。
少なくとも、この大聖堂の中では見ず知らずの他人に対してみんなが善良でした。
教会の外においても、そうあるべきだとキリストは言っていると思うのですが、
そうなっていないのは、信者の修行が足りないからだと思っています。
信仰が足りないと言いたいぐらいですが。

ふふふ。ラテン語は、その二つを区別する単語を持ってないだけなんじゃないですか?
瞑想中の修行僧はエクスタシーを感じているという話も聞きますが、
法悦と性悦は違うものと僕は考えます。
でも、インドやチベットの男女交合仏でも悟りの法悦の境地と性悦は近いものとして位置づけているみたいですね。詳しくは知りませんが。
  • 2007-12-26
  • たくじろう
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[C1233] すべては人が…。

汝の敵を愛せよ…が…汝の敵を殲滅せよ…に変わってしまう…。
そんな危うさが宗教にはあります…。
悲しいかな…継承してきたのが人であったが故…のことだと…。
  • 2007-12-26
  • dove-2
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[C1234] Re:dove-2さん

人を幸せにもする一方、争いの理由にもなったりと宗教には危うさがありますよね。
doveさんの言われるとおり、人が継承してきたからで、イエスにしろ、マホメットにしろ今のキリスト教やイスラム教に何を思うのでしょうね。
でも、人が継承してないとその教えの一端に触れることもできませんし・・・。
ハサミが使いようであるように、宗教をどう使うか、人は神に試されているのかもしれません。
人が賢い選択してくれることを願います。
  • 2007-12-27
  • たくじろう
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  • 編集

[C1235] うまいコト言うニャ~。

本当にそのとおりだわ。
ウマシカと鋏は使いようって言うもんねぇ。

自分は宗教のアイテムが好き。
建物とか讃美する歌とか教典の本とか偶像とか、カッコよかったり渋かったりキレイだ。
作った人達それぞれの“神さま”への畏敬の念が美しくしてるんだろうなぁって思う。
仏像とかスゲーし。

どの宗教でも頷けるトコはあるんだろうけど、砂漠のド真ん中とか、宗教に頼らずにはいられないようなヒドイ環境に生まれなかったおかげで、信じるのは自分が感じる神さまだけさ~♪

アイテムに胸きゅんになってるだけのいいトコ取りが出来るとゆぅものです。

たくじろうさん、カッコイイ建物に入れてラッキーでしたね(^^)
  • 2007-12-28
  • うろおぼえ
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[C1236] Re:うろおぼえさん

宗教グッズは渋カッコいいですね。
芸術作品とはちょっと違うのは、作る人の清い思いがそうさせてるのかな?
それから、教会や寺の清い空間も好きなところです。
自分が感じる神さまを信じて、どこの宗教にも属さず、いいトコ取りだけを僕もさせてもらおうと思ってます(^^)
この俗社会を普通に生きて行くには、それで十分だと今のところは思っています。
  • 2007-12-29
  • たくじろう
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クリスマスを祝うこと #278

20071224cathedral.jpg

東京カテドラル聖マリア大聖堂のクリスマス・ミサに行ってきました。
僕はクリスチャンではありませんが、この日は、そんな僕が聖マリア大聖堂に入ることのできる数少ない機会なので、信者の方には誠に申し訳ないですが、僕はそんな軽い気持ちで参加させてもらいました。

この大聖堂は丹下健三氏の設計です。
ここで行われた前教皇ヨハネ・パウロ2世の追悼ミサには、天皇の名代として皇太子が列席されました。
時がたつのは早いもので、もう2年以上前の2005年の4月のことなんですね。

さて、クリスマス・ミサの率直な感想です。
大聖堂の収容人数は450名だそうです。
たぶん、僕らが参加した回のミサもほぼ満員に近い人数が居たんじゃないかと思います。

この時のこの大聖堂は優しさで満ち溢れてました。
ここに集まった人々はとてもcourtesyでした。
とても温かく親切で、他人を気遣い合ってます。

この社会がこんな人たちばかりであったなら、
平和な社会になるんじゃないかと思いました。
とても居心地の良い空間が広がっていました。

でも、クリスマス・ミサ自体にはちょっと違和感を感じました。
イエス・キリストの誕生を祝うことは良いこととは思いますが、ちょっと祝い過ぎかな?と思ってしまいました(^^;)

キリスト教系の宗教団体で、クリスマスを祝わないところがあります。
キリストはそんなことは望んでいないからという理由だったと思いますが、そんな理由も少し分かる気がしました。

信者としてキリストの誕生を祝いたい気持ちは分かりますが、キリストにとって、自分の誕生日を祝わせることは、信者にして欲しいことの中で、かなり下位にあることと思います。

そんな気持ちでこの日のキリストを賛美する歌を聞いていると、
新興宗教の教祖を讃える歌と大して違いないように思えてきてしまいました。・・・申し訳ないことに(^^;)

この日、僕らがこの場所に座ることができたのは、いくつもの小さな幸運が重なって実現したことでした。
そのことには深く感謝していますが、それが神の導きだったとするのなら、
・・・僕の感想は何なんだろう?


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[C1231] 神様はどんなこともおおらかに受け容れてくださる・・

教会の中では信者さん達は善良なところを顕しているんでしょうね。
でもその同じ人が、憎しみや妬みや狡さや残酷さやらなんやらも持っているので、
世の中簡単に平和にならないんでしょうね~。

キリスト教の教えには深く感心するところもあるし、
私自身は人知のスケールを超えた摂理(私にとっての神)は存在すると思っているのですけど、
信者という人間集団を見ると、「私はここには入れない。」と思います。
(信者のみなさん、貶すつもりじゃないので許してください。)

さて、ラテン語由来のesultareは歓喜するという意味ですが、
これは宗教的にも性的にも区別なく使われます。
つまり、宗教的法悦と性的法悦は同じ種類ということなんでしょうね。

宗教の本質を突いていると思いつつ、「だから危ないんだよなあ・・・。」と思うところのひとつです。
新興宗教はもちろんのこと、古い宗教の中にも随所にこの法悦は見られますから。
  • 2007-12-26
  • CUCINAPOVERA
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[C1232] Re:CUCINAPOVERAさん

人は誰でも善良な一面を持っています。
恋人や家族には簡単にそれを出すことができても、見ず知らずの他人にはなかなか出せません。
個人の懐の深さにもよりますが、宗教には強制的にそうさせる力があると思っています。
少なくとも、この大聖堂の中では見ず知らずの他人に対してみんなが善良でした。
教会の外においても、そうあるべきだとキリストは言っていると思うのですが、
そうなっていないのは、信者の修行が足りないからだと思っています。
信仰が足りないと言いたいぐらいですが。

ふふふ。ラテン語は、その二つを区別する単語を持ってないだけなんじゃないですか?
瞑想中の修行僧はエクスタシーを感じているという話も聞きますが、
法悦と性悦は違うものと僕は考えます。
でも、インドやチベットの男女交合仏でも悟りの法悦の境地と性悦は近いものとして位置づけているみたいですね。詳しくは知りませんが。
  • 2007-12-26
  • たくじろう
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[C1233] すべては人が…。

汝の敵を愛せよ…が…汝の敵を殲滅せよ…に変わってしまう…。
そんな危うさが宗教にはあります…。
悲しいかな…継承してきたのが人であったが故…のことだと…。
  • 2007-12-26
  • dove-2
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[C1234] Re:dove-2さん

人を幸せにもする一方、争いの理由にもなったりと宗教には危うさがありますよね。
doveさんの言われるとおり、人が継承してきたからで、イエスにしろ、マホメットにしろ今のキリスト教やイスラム教に何を思うのでしょうね。
でも、人が継承してないとその教えの一端に触れることもできませんし・・・。
ハサミが使いようであるように、宗教をどう使うか、人は神に試されているのかもしれません。
人が賢い選択してくれることを願います。
  • 2007-12-27
  • たくじろう
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[C1235] うまいコト言うニャ~。

本当にそのとおりだわ。
ウマシカと鋏は使いようって言うもんねぇ。

自分は宗教のアイテムが好き。
建物とか讃美する歌とか教典の本とか偶像とか、カッコよかったり渋かったりキレイだ。
作った人達それぞれの“神さま”への畏敬の念が美しくしてるんだろうなぁって思う。
仏像とかスゲーし。

どの宗教でも頷けるトコはあるんだろうけど、砂漠のド真ん中とか、宗教に頼らずにはいられないようなヒドイ環境に生まれなかったおかげで、信じるのは自分が感じる神さまだけさ~♪

アイテムに胸きゅんになってるだけのいいトコ取りが出来るとゆぅものです。

たくじろうさん、カッコイイ建物に入れてラッキーでしたね(^^)
  • 2007-12-28
  • うろおぼえ
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[C1236] Re:うろおぼえさん

宗教グッズは渋カッコいいですね。
芸術作品とはちょっと違うのは、作る人の清い思いがそうさせてるのかな?
それから、教会や寺の清い空間も好きなところです。
自分が感じる神さまを信じて、どこの宗教にも属さず、いいトコ取りだけを僕もさせてもらおうと思ってます(^^)
この俗社会を普通に生きて行くには、それで十分だと今のところは思っています。
  • 2007-12-29
  • たくじろう
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プロフィール

たくじろう

Author:たくじろう
1969年生まれ。アメリカ駐在→東京在住。少年時代をラゴスで過ごす。東京の高校に行くが、都会生活に馴染めず大学は北海道へ。しかし就職で東京に戻ってきてしまう。元へたれプロボクサー、現在しがないサラリーマン。趣味は太極拳とジョギング。

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